【修復の話 2】 触れる、さわる〈前編〉

触れる事で得られるもの

コンサバターとは、文化財や美術品、資料や個人的思い出の品などを保存、修復する仕事だけれども、私が初めコンサバターになりたいと思ったのは、実はこのような文化財を継承することに関わりたいとの想いからではない。どちらかと言うと逆で、ガラスケースの向こうの作品や資料に触りたかったからである。逆と言ったのは、ものに触れるという行為は、大げさに言うと破壊行為だからだ。 

しかし、普段触れられない作品に触れられるという事は、特別で楽しそうではないだろうか。Do Not Touch!と禁止されているものに触れられるなら、ワクワクしないだろうか。私は大英博物館に強い憧れがあって、どうしてもあそこにあるメソポタミアのくさび形文字の粘土板に触れたいと思っていた。   

触れる事で得られるものはとても大きい。触れながら観ると、ものとの距離がぐっと近くなり、まったく違った発見がある。 私は、美術館や博物館に展示されるようなものに、もっとたくさんの人が触れられたら良いなといつも思っている。例えば、古代エジプト人が使っていた石製の化粧パレットをガラス越しにみたら、ふーんと思うかもしれないが、それが手に持てたらどうだろう。5千年の時が知識を超えた形で伝わってこないだろうか?また、意外に軽かったり、重かったり、素材の温度や肌触りというものも、その作品や資料の重要な要素だ。そういった情報は、視覚で見ているだけでは分からない。

美術館にある茶碗なども、手に持ってこそ味わえそうな類ではないだろうか。しかしそれらはガラスの向こうで、多くの場合地震対策としてテグス(つり糸)で台に固定されていたりする。もちろん見るだけでも、形の変化を追ったり色をつくり出した炎の加減を想ったり、重さを想像したりは出来るけれど、手のひらに納めたらそれは全く違う体験だろう。また彫刻や工芸作品なども触覚と共につくられたものが多い。そういった作品は触ってそのテクスチャーやボリュームを手から感じられたら、より近く作者に共感でき、もっと豊かな鑑賞体験になるのではないだろうか。

Do Not Touch の理由

そもそも、なぜ作品や資料はガラスケースに入れられたり、”お手を触れないでください” と注意書きされていて、触ることが出来ないのだろうか?    

美術館や博物館で、来館者が作品や資料に触れる事の問題点は、まず破損ということ。何かが引っかかって壊してしまったり、乱暴に扱われて折れたり、凹んだり、破れたりだとかが起こり得る。繊細なものや壊れやすいものもあるので、これらは保護されなくてはならない。また、触れられるような近い位置にあると、落書きされたりゴミを捨てられたりもしてしまう場合もある。実際V&Aで働いていた時に、彫刻にチューインガムが付けられているのを発見したこともあった。また、人の手の脂は弱酸性なので、例えば金属作品などは指紋が長年の間にエッチングされてしまったりするケースもある。その他ガラスケースに入れる理由は、接触からの保護や盗難防止の他に、湿度や温度調整を個別にするためであったり、展示物が人に有害な素材を含んでいるケース、もしくは他の作品にとって有害物質を放出するため隔離する理由からであったりする。他の館からの借りものだと、展示のコンディションに特定の注文がある場合もあるだろう。

このような理由はもっともで、もちろん文化財は保護し良い状態で保存されるべきだが、それ自体が目的であるならば、一番良いのは収蔵庫に保管しておけば良いわけだ。しかしこれらのものは、私たちがそこから何かを得てこそ価値がある。人目に触れないで収蔵庫で眠っているものも沢山あるが、私たちはそれらをどのように生かすべきだろうか?またこの保存することと生かすことの相反する方向性のバランスを、どのようにとって行ったらよいのだろうか?後編ではそのような事を考えてみたい。

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この記事を書いた人

森尾さゆり コンサバター(保存修復師)

東京都出身。2007年ロンドンに移住。セントラルセントマーティンズでガラスアートを学んだ後、モザイク工房に 6年間勤務。2015年よりシティー&ギルド・ロンドンアートスクールにて、修復を学ぶ。2017年に大英博物館でインターン。ビクトリア&アルバートミュージアムの彫刻修復室に2年勤務。専門は、石、木、石膏やテラコッタなどの立体物、ギルディング、額縁等。2021年夏、帰国。  

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