【修復の話 3】 触れる、さわる〈後編〉

前編では、ものに触れる事で得られる価値と、触れる事で起こり得るダメージについて書いたが、後編ではそのバランス—保存するということと、生かすということ—について考えてみたい。

相反するコンセプト

作品や資料に近づく方法として、もっと美術館や博物館のものを、たくさんの人が触れるようであったら良いと思っていると前編で書いたが、保存するということと、触れるということは相反するコンセプトになってしまう。なぜなら触れる行為は、ものにダメージを与えるからだ。コンサバターの仕事を通して、作品に触れる楽しさや素晴らしさ、ワクワク感や直接的な感動を感じる反面、保存のためには “触らないでください” と、来館者にはそのような鑑賞方法を禁じないといけない。触ろうとする来館者に注意を促しながら、ずるいなぁとその矛盾をしばしば感じたこともあった。保存することと、私たちがものを生かすことの両者は、バランスをとるのが難しい。生かそうとすると保存できなくなるし、保存を徹底的に重視すれば、ものは生きない。 

子どもたちが触る事を前提としたアート (Whitechapel Gallery での子どものふるまいの実験の一部) Exhibition “Play Well” (2019) Wellcome Collection

美術館や博物館の作品や資料にもっと多くの人が触れられること、これは可能なのだろうか?これは、全部は無理だが、一部の作品はイエスだろう。私が尊敬するコンサバターであり、ロンドン大学考古学研究所名誉教授であるエリザベス・パイさん編集の著書に “The Power of Touch” という本がある。ミュージアムの作品や文化財のハンドリングに関した本で、様々な視点での”Touch”に関する考察が載っている。最近、エリザベスさんが書かれた部分を読み返してみて、やはり触る事って見る事では得られない情報がものすごくあるな、と改めて思った。

大学でエリザベスさんのオープン講義を受けたことがあるが、もともとものづくりの家系に生まれて、小さい頃から道具を使ってものをつくる事に慣れ親しんでいた、と言っていたのを覚えている。ものを触って味わう事の嬉しさや、楽しさ、重要さを体験から知っているとのお話に、なんだか祖母を想い出した。私も幼い頃から手芸や工芸に多彩な祖母に手を使うことを教わり、その後ガラス工芸、そして修復と繋がっていったので、触覚や道具をキーワードにした修復のお話に、とても共感した。 

tell-tale sign — ものが語るストーリー

彼女の文章の中に “tell-tale sign” という言葉がでてくるが、これはものが語るストーリーのことだ。もしくはものの痕跡から受け取れる情報のこと。作り手がどのように道具をコントロールしていたかは、例えばブラシの運びや道具の残す跡で読み取れる。例えば金工の場合表面のマークに如実にでるし、製造過程やその技術の理解にも近づけるだろう。使用した人の物理的な証拠は、表面のキズ、欠けているところ、ゆがみや凹みなどに見られたりする。それらはすべて、ものが経験してきた歴史を語るものだ。

また、彼女は工業化以前の製品はすべてつくり手の手(touch) が見えていたと言っている。私も工業製品と手作りのものについて、自分事として考えた事が何度かあった。例えばガラスを学んでいた時、吹いたワイングラスは機械製品の何倍も高いかも知れないがその価値って何なんだろうとか、モザイクを工房で作っていた時も、わざわざ手で並べ手間をかけるその作業の意味について考えたりもした。しかし工業製品と手作りのものは、明らかに違う場合が多い。人間の手がつくり出す微妙なゆれやズレ、色味の違いやイレギュラーさは、味とか人間味と言われるものだろう。それらはtell-taleの痕跡を多く残す。なので私たちが聴きとれる語りが多いのではないだろうか。 

ものの本来の声を聴く

The activities of the conservator or restorer can help to reveal the intentions—both the “hand” and the “voice” — of the maker through regaining something of the original visual impact, and sometimes also the original function.

The power of touch: Handling objects in Museum and Heritage Context エリザベス・パイ


これは彼女の文章の引用だが、コンサバターの活動は、元の視覚的なインパクトや、本来の機能を取り戻すことで、つくった人の意図、”手” や “声” を明らかにすること、と書いている。私の個人的な解釈だけれども、ものから”手”を見 “声”を聴ける状態にすることがコンサバターの仕事の目的で、ものを修復する技術的なところはそれを実現するための、ある意味”手段”と言っているようなところが面白い。これはとても共感するところで、修復は技術が重要だと思うかもしれないが、その前段のそもそも目的は何かとか、それを達成するために何をするべきかを考えたり話し合ったりすることが同じくらい、もしくはそれ以上に重要だ。それはこの文脈で言うと、その作品の “手”や”声” とは何で、どのようにそれを保存したいのかについて考えることだろう。

また、エリザベスさんはこの本のなかで、ものへのダメージやリスクの考え方の偏りを指摘している。私たちは光の照射による作品へのダメージや、図書館での閲覧による本へのダメージは仕方のないものとして受け入れている。しかし、美術館や博物館のものに触れることからくるダメージとなると、仕方がないものとしては受け入れない。それは視覚重視の展示の歴史からくるものだろう。許容されているダメージと同列に、触覚によるダメージも受け入れていくべきではないか、というのが彼女の主張だ。

私たちは固定概念で “展示は見るもの触ってはいけないもの” とそれを当たり前に思っていて、彼女のこの主張にはハッとさせられる。もし触覚による鑑賞が私たちにとって意味のある体験であれば、それは光の照射や本の閲覧によるダメージのように、リスクマネージメントをしながら、受け入れていってもよいのではないだろうか。光の照射に弱い素材とあまり影響のない素材があるように、触ると影響の出やすい素材、形態や状態のものと、そうでないものがある。いくつも似たような資料がある場合のダメージの許容だとか、ある一定の環境とマナーが守られれば、もっと可能になっていくような気がする。

触覚に特化した展示や、実際に本物に触れる事が無理な場合、レプリカやもしくはテクノロジーにより疑似体験として触れる展示も見かける。触覚とはものを理解するのにとても大事な感覚で、作品や資料により深く入っていける一番の方法だと思う。そんな豊かな鑑賞体験は、保存ということと並行していかないといけない。その保存するということと、ものが生きるということのバランスが私はとても気になっている。


この記事を書いた人

森尾さゆり コンサバター(保存修復師)

東京都出身。2007年ロンドンに移住。セントラルセントマーティンズでガラスアートを学んだ後、モザイク工房に 6年間勤務。2015年よりシティー&ギルド・ロンドンアートスクールにて、修復を学ぶ。2017年に大英博物館でインターン。ビクトリア&アルバートミュージアムの彫刻修復室に2年勤務。専門は、石、木や石膏などの立体物、ギルディング、額縁等。2021年夏、帰国。  

参考: Elizabeth Pye. (2008) The Power of Touch: Handling Objects in Museum and Heritage Context, University College London Institute of Archaeology Publications, p120-138

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