こうやって、真ん中あたりに息をふきかける—— クリスティーンが金箔を操ると、それは良くしつけられた生き物のようにクッション付きのパレットの上にしわひとつなく広がった。クリスティーンは私が修復を学んでいた学校で長年教えていたギルディングの先生だ。ギルディングとは金箔貼りのこと。始めて金箔の扱い方を教わった時、宙に浮くようなその軽さとゆっくり落ちてくる速度、息を止めてしまうほどのその繊細さに魅せられたことはとても良く覚えている。
西洋の金箔は一辺が閉じた11㎝x11㎝程のブックと言われる冊子状になった油紙の束に、一枚一枚挟まれている。薄い油紙を一枚づつめくって、そこからクッションのついたパレットといわれる手持ちの台に移す時、その繊細な金箔にふっと息を吹きかけて移すのだが、その時に一回くしゃっとした状態になる。金箔は1万分の1ミリの厚さといわれている。こんな状態になって一体全体大丈夫なのだろうかと思ったが、彼女はギルディングナイフといわれる金属のナイフで箔を一旦空中に浮かせて折れを解いた後、迷いのない息を一度真上から強く吹きかけた。すると、パレットの上でしわが寄っていた金箔が、パッとひらくのだ。それはもう本当にマジックみたいな瞬間だった。
その後ギルディングナイフで、これも何の迷いもなく欲しいサイズに大きな引きを入れて切り分ける。後でわかった事だが、ギルディングは動きに思い切りがなくてはいけない。扱う回数は少ない方が良いし、切る時もさっと切らないとナイフについて破けてしまう。迷いがあると仕上がりにそれが出てしまうのだ。
更に難しいことには、この作業を机上ではなく、手で持ったのパレットの上で行い、実際右手にはギルディングナイフ、左手にはパレットとリスの毛で出来たティップという薄い刷毛のようなものを指に挟んでいる。パレットの裏側には、手のひらが差し込める革のベルトがついていて、指三点でパレットを支え、残りの人差し指と中指の間にティップを挟んでいる状態だ。ウォーターギルディングという技法の場合は、さらに水をつける筆が入るので、2つの手で3つ4つの道具を同時に扱うことになる。
リスの毛の刷毛は、刷毛といっても毛が一列に並んだごく薄いもので(はじめの写真の一番右側)、静電気で金箔をつけて持ち上げるための道具。手首につけたワセリン、もしくは髪の毛の表面をさっと刷毛で撫でて、軽く添わせるように金箔を横倒しの刷毛につける。クリスティーンはすべての動作に迷いが無くて、オートマティックで、無駄が無い。
しかし、さあやってみて!といわれて気づくのだ。全く何をどうしていたのか、思い出せない。左手はどのようにパレットを持っていたか、ナイフはどう動かしていたか、刷毛は手に持っていたんだか机の上だったか。見とれていたせいもあるが、一連が早すぎてやってみてと言われても茫然とする。先生は手取り足取り持ち方を教えてくれないのだ。これも後になってわかったが、”正しい持ち方”というのは無くて、それぞれに持ちやすい持ち方で使用している。自分にとって効率の良い持ち方とリズムが、仕事の速さに影響するので、試行錯誤するしかない。
私は学校の一年目の夏に、彼女の工房で短期間働いたのだが、初日から容赦なく複雑な装飾のギルディングを頼まれた。アンティーク家具の装飾彫刻部分が欠損していて、それをチームの彫り師が新しく彫ったものだったのだが、古代ギリシャの柱の上部にあるような、植物をモチーフとした装飾(キャピタル)と言ったら伝わるだろうか。表面積が多くて複雑で、始め絶望的になったが、誰も助けてはくれず、これは本当に一人で時間内にやらなくてはいけないことを悟ったとき、はじめて早くギルディングできる道具の持ち方や、金箔を無駄にしない方法をやりながら学んだ。
金箔は高価なものだが、高価なものだと忘れてしまうくらいふんだんに金箔を使ったプロジェクトに参加した経験もある。それはプライベートの工房での門扉と柵のギルディングの仕事だったのだが、バッキンガムパレスにあるような黒い大きな柵と言ったらイメージがつくかもしれない。唐草模様の部分に金箔が施されているのだが、その金箔部分にすべて箔を貼り直した。野外の金箔には、剥がれないようにオイルギルディングというギルディング用のオイルを接着剤として使用する技法を用いるのだが、プロジェクトの規模が大きかったので金箔のブックを100冊に近いくらい使ったのではないだろうか。オイルギルディングは、オイルが乾いた後に余分な金箔をやわらかい刷毛で払う作業がある。毎日、きらきらと舞った金箔で髪の毛が金箔だらけになりながら、誰が一番早く作業できるか競ったりした一か月は、なんだかとても楽しかった。
西洋と日本では金箔も金箔の貼り方も異なる。前述したように、西洋はリス毛の刷毛で静電気を起こしてくっつけて持ち上げるが、日本は逆に、静電気が起きない竹の箔箸で挟んで持ち上げる。一枚の金箔の大きさは西洋のそれより大きいし、ブック状ではなく一枚一枚バラになっている。接着方法に関しても西洋は薄めた膠かオイル、日本は伝統的には漆、とかなり異なる。
最近、京都で箔貼り用の箔箸と竹刀(ちくとう)を購入したので、両者を比較したら面白いのではないかと思う。手法の違いも、素材や文化に根差しているのであろうし、深堀出来たらおもしろい。次回は、そんなテストやリサーチの過程をお伝えしたい。
森尾さゆり オブジェクト・コンサバター(保存修復師)
東京都出身。2009年ロンドン藝術大学セントラル・セント・マーティンズのガラスアート科卒業後、ロンドンのモザイク工房に6年間勤務。2015年よりシティー&ギルド・ロンドンアートスクールにて、修復を学ぶ。2017年に大英博物館でインターン。卒業後、ビクトリア&アルバート博物館の彫刻修復室に勤務。専門は、石、木や石膏などの立体物、額縁等。2021年夏、帰国。東京国立博物館にて非常勤職員として勤務後、現在フリーのコンサバターとして活動。コンサベーションの普及活動として、ワークショップも開催している。