かけがえのないもの

かけがえのないものは何ですか?と聞かれたとき、「いのち」や「人」と答えるひとは多いかもしれません。

いのちや人の存在は、本当にかけがえのないものです。代わりになるものがなく、とても大切なもの。

修復は私たちが大切とかんがえるものをのこす仕事ですが、イギリスの修復学校やミュージアムで働く際に、必ず始めに言われるのは「自分の命と周りのひとの命が、ものより大事」ということでした。

これから修復を習う時に、その修復対象である作品や資料よりも、自分の方が大事とはっきり言われたことに少し驚きましたが、考えてみれば当然です。

ものは壊れても修復できることがありますが、命を失ったら戻ってきません。

「自分の命が危険に晒された時は逃げなさい、周りの命を大事にしなさい。」
そう教わったのは、私が彫刻という重量物を扱うセクションにいたせいもあります。例えば、大理石は自分よりも小さくてもとても重いものですし、何メートルもの作品が自分の方向に倒れてくることも可能性としてはあります。その一瞬に迷ってしまうと、大けがをしたり、最悪命を落とすことになってしまう。なので、一瞬の迷いがないように、最初にそう言われます。

いのちはかけがえのないものですが、私たちは毎日が緊急事態ではなく、それぞれの日常の中で生きています。そういった私たちの生活だとか、その中でつくり出されていくものが、私たちの文化の財産となっていきます。それらは私たちが生きた時間を体現しているものたちです。

私たちは何をのこしたいのか?どういう中身を伝えたいのか?ということと、どうやってそれを修復するのかということは、密接に関わっています。 容器があっても中身がなければ、その”もの”というのは結局のこらない。ものとそれが生きる文脈とが一緒にのこることや、そのプロセスに関わる様々な人のリスペクトが注がれながら、ものが受け継がれるということが大事なのだと思います。

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