今年8月に町田の和光大学ポプリホールにが開催された「Small Museum」。
この活動は、写真家の香川賢志さんの取り組みで、子どもたちがつくった作品を捨てられてしまう前に写真作品として記録し、架空の美術館に収蔵していくというものです。今回の撮影会では、私もコンサバターとして子どもたちとの作品の観察や鑑賞のパートでコラボさせていただきました。
プロの写真家さんの機材で自分の作品を撮ってもらえる機会はなかなかありませんが、それは”写真を撮ってもらう”ということ以上に、子どもたちにとって嬉しいことです。グレーの背景紙の撮影台に置いた自分の作品を、香川さんが一つひとつ作品に反応しながら写真で捉えます。かっこいいストロボのパンッという音と同時に、パソコンに映しだされる自分の作品の写真。撮るごとに「おー!」や「わぁ~!」と歓声が上がります。
撮影の前には、持って来ていただいた作品を「じっくり観察してみる」という時間をつくり、コンサバターの視点を交えたコラボレーションを行いました。作品の制作秘話がわかったり、素材のチョイスや接着方法を通して、子どもたちがたどったプロセスを垣間見るれことは、本当におもしろい。「ここはどうしてこうなっているの?」「何でくっつけたの?」「これは何を表しているのかな?」。子どもたちと一緒に制作過程を深掘りしました。
サイズを計測したり、タイトルや作者、素材も記録します。大きさを測るには、定規、メジャー、デジタルノギスなどを使いましたが、結構悩むのが、どこからどこまでを測るのか。もしくは、動く部分がある時は、どの状態で測るのか。例えば、鯉のぼりのようなポールと鯉が一体化している作品は、高さはわかりそうだけど、幅とか奥行きって一体どれかな?やってみると、思わぬ問いにぶつかります。
毎回香川さんは、全力のプロ仕様で子どもたちの作品を撮影されるのですが、その撮影空間のカッコいいこと。みたことないくらい大きなストロボから出る広範囲のやわらかな光、高性能なカメラとパソコンの画面に映し出される写真の鮮やかさ。それらが連動して醸し出される音や熱、空気感に、子どもだけでなく大人もワクワクします。
子どもたちには、自分の作品を撮影セットの台に自分で置いてもらうのですが、その瞬間、自分自身が丁寧に注目されるようで、子どもたちもうれしそう。静かに見守る中、聞こえてくるのは撮影機器の操作音と香川さんが次々に姿勢を変える動きの音だけ。その緊張感と集中した空気は、日常からちょっとズレた特別な時間です。
写真というのは本当に目線なのだなぁと思ったりするのですが、見ていると香川さんは作品と対峙して「おっ!」っと思ったり「あれ?」と感じたことにダイブしている(?!)ように私には見えます。
そんな香川さんのカメラを通してみる作品に、作者の子どもたちや親御さんも「あれ、こんなところがあったんだ!」と見ていなかった詳細に気づいたりもします。
見逃してしまうディテール、素材の裏にあるストーリー、つくった人の選択と動き。「そこにあったもの」ということは多くを伝えます。破れたのでセロテープでとめたという行為も、この包装紙は何を包んでいたのかということも、ひらいてみるといろいろな ”ものの歴史” のレイヤーがある。その人のなんらかの行為があって、時間の痕跡がのこっている――そういうことを私は、なんだか尊いなと思います。
上の写真のような紙粘土でつくった生物につけた着色も、はじめ黒もしくは深緑と単色でくくっていたものが、香川さんの写真のディテールを見て、思った以上に色にバリエーションがあることに気づきます。デジタルマイクロスコープという顕微鏡の簡易バージョンのような機器でよくよく見たら、もっといろんな色が見つかりました。赤い部分も見つかって、それは作者が色をつくる時に赤も混ぜたという痕跡です。
子どもたちは次々にたくさんのものを生み出すので、すべてはスペース的に保存しておけません。紙に描いた絵であれば、まだ残せるかも知れませんが、立体物はすこしハードルが高い。でも、その時のその子の身体性やそこにあったもので純粋にカタチにしたものには、いろいろな時間や意味が含まれています。
その一つひとつに丁寧に反応し、その”もの”が持っているパワーや魅力をカメラというものを通してのこす香川さんの写真は、なんだかそれ自体がコミュニケーションのような感じがしました。
Small Museum https://smallmuseum.theshop.jp/